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田辺聖子著 『文車日記』

読書

今日は文化の日。ということは明治節(明治天皇の誕生日)。

ということで、この本を久しぶりに引っ張り出してみた。

小説家の田辺聖子が思い入れのある古典作品を紹介した本なのだが、「皇太后のおん靴」と題して、明治天皇のお后・昭憲皇太后について語った一節があるのだ。

昭憲皇太后といえば、「みがかずば 玉も鏡も何かせぬ 学びの道もかくこそありけれ」という現お茶の水女子大学の校歌になった御歌が有名だ。

一方で、「飛行機」というお題で「たくみなる わざの開けて 神ならむ 人も天とぶ 世となりにけり」と詠まれるなど、才気煥発で諧謔を解されるところがあった。

田辺が「まるで古いオルゴールの、ゆるゆるとした音をきくように典雅なご文章」と述べている一節を挙げてみよう。

昭憲皇太后「菊始開」というご文章より

「風なつかしううち薫るに、よく見れば、二つ三つばかりさきいでたるなりけり」

「上、聞こしめしつけて、まことにやとのたまはするに、早うみそなはせとそそのかし奉れば、朝風なほ寒けれど、しばし、はし近ういでさせたまひぬ。色わきて咲きたる菊の見ゆるにぞ、ことの外に興じたまひて、天長節には必ず盛りならむと仰せらるる、そのみ言葉につけて、千代田の宮の秋の盛と、みづから言ひいでつれば、うちゑませ給ふもいとかしこし」

(田辺聖子『文車日記』「皇太后のおん靴」より)

田辺のエッセイの題となっている、ローブデコルテとともに展示されていたという皇太后の白繻子の靴、電話や飛行機を詠まれた短歌からは文明開化の時代の香りがする。同時に、秋の夜には菊を愛でる、という宮中の行事も受け継がれている。西洋文明の受容と伝統を引き継ぐという課題に当時の人々はどう向き合ったのだろうか。明治という時代はどういう時代だったのだろうか。明治時代を描いた小説といえば司馬遼太郎の『坂の上の雲』などが有名だが、ラフカディオ・ハーンや渡辺京二の著作を改めて読みたくなった。

何かが大好きな人から、その大好きなことについて存分に語ってもらうほど楽しいことはない。また、詳しい人から素人にもわかりやすいように語ってもらうことは本当に学びを助けてくれる。斎藤孝の言うように、「憧れに憧れる」、すなわち、憧れが伝染するのだ。

私は田辺聖子の著作を読んで古典の世界に引き込まれた。40年後に読み返しても面白さは色あせず、色々な人生経験を積んだからこそ、改めて深い感慨を抱く。古典とはそういうものなのだ。昨今の国語の学習課程では、論理性や実務的な文章を読めることを重視して古典学習の時間が減っているやに聞く。言語が思考の基礎になるものである以上、そういう面も大切にしなければならないが、古典に触れる機会をぜひ確保してもらいたい。古典学習は、個人の情緒を育てるだけではなく、文化の継続性にとってなくてはならぬことだと思う。

 

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