瞑想をしていて、ふとこんなことを思った。
「北米で、こんなに瞑想ーー”Being”ーーが流行ったのは、それだけ達成することーー”Doing”ーーへのプレッシャーが大きいのではないか」
Beingとは「存在すること」。あるがままにあること、内なる神、真如、静けさ、手放すこと、などと関連づけられる。
Doingは「行動すること」。何かを達成すること、獲得すること、動くこと、などと関連づけられる。
外国語を学んでよかった、と思うところは、「言語によって、人は世界を違うように体験している」ということを実感できることだ。英語を生業としているけれども、アメリカにいたときに”I”と言わなければならない回数の余りの多さに辟易したことがある。自己と世界が対峙している感覚が日本語で生活している時よりもずっと強い。
瞑想においても、英語のガイダンスを聞いていると”stillness(静けさ)””being(在ること)””space(空白)”という言葉に触れることが非常に多い。現実には、世界は騒がしく、動いて何かを達成することが求められ、自分の生活やスケジュールが、そして心が、何かの隙間や遊びがないほど埋め尽くされている、ということではないのか。そういう気がした。
そう思うと、「現代社会のマインドフルネス瞑想は本来の目的を見失っている」という加藤洋平氏(知性発達科学者)の指摘は非常に当を得ているように思う。
彼は、『成人発達理論による能力の成長ーーダイナミックスキル理論の実践的活用法』という著書の中でこう述べている。
マインドフルネス瞑想の起源は仏教にあり、それは、毎日をより深く生きることを目的に開発された方法だと認識されています。つまり、仏教の世界では、マインドフルネス瞑想は私たちの意識を深めていくことに活用されているのです。
ここでのポイントは、マインドフルネス瞑想の本来の目的は、毎日を「深く」生きることにあるのであって、決して毎日を「多く」生きることではない、ということです。
しかしながら、現代の企業社会で注目を集めつつあるマインドフルネス瞑想は、毎日をより「多く」生きるために活用されていしまっている、という問題を抱えている気がしてなりません。
つまり、マインドフルネス瞑想をすることによって、企業社会を例にとれば、効果的により「多く」働くことや、効率的に売上をより「多く」することに利用されてしまっているきらいがあるように思われるのです。
確かに、マインドフルネス瞑想を実践することで集中力が高まり、生産性が上がることを疑うことはできません。その結果として、より多く働くことや、売上をより多くすることが可能になる、というのは理解できます。しかしながら、それらを可能にするためにマインドフルネス瞑想をするというのは、本来の目的である「深く生きること」とかけ離れたものだと思います。
マインドフルネス瞑想を、本来の目的とはかけ離れた形で活用しようとするこうした発想の裏には、成長を量的な拡大だとみなす考え方が、現代社会の中で根強く浸透していることが伺えます。
私たち個人や組織の成長には、量的なものだけではなく、質的なものがあることを忘れてはなりません。マインドフルネス瞑想が本来目指すものは、量的な成長ではなく、質的な成長です。こうした本来の目的を喪失する時、私たちはマインドフルネス瞑想を通じて、深く生きることができないばかりか、より多く生きることに邁進する状態を強めてしまうでしょう。
加藤洋平著 『成人発達理論による能力の成長ーーダイナミックスキル理論の実践的活用法』第5章 「マインドフルネス」「リフレクション」「システム思考」との統合より
*太字:原著者
全てが「量的拡大」に絡め取られていき、本来の意義をうしなってしまう。我々は、その陥穽に敏感であらねばならない。
☆加藤洋平氏のウェブサイトはこちら。