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斎藤孝著 『スラムダンクな友情論』

「十代の人たちが、友情の確信をもって自分を磨いていってくれることを願って、この本は書かれた」という最後の一文が全てを語っている。そして、同時に、圧倒的な読書量を誇る著者による、「友情」を切り口とした名著案内になっている。

それにしても斎藤氏の説明能力の高さには舌を巻く。嫉妬の念さえ覚えるほどだ。次の説明には唸った。

 「君は誰だ」と聞かれたり、「自分は何者だ」と自分に問うことがあるとして、「自分は○○だ」と「張りをもって答えるとする。

その「○○」が「アイデンティティ」だ。

斎藤孝 『スラムダンクな友情論』第二章「”アイデンティティ”をめざめさせる」より

エリクソンのアイデンティティ概念をこれほど分かりやすく、端的に説明した例を私は知らない。また、『あしたのジョー』でジョーがライバルの金竜飛に引け目を感じつつ、でも心のひっかかりがあってこいつには負けたくない、と思う場面を紹介しつつ、「ひっかかりを手がかりに自分の本当の気持ちを探っていこうとする」手法を、さらりとジェンドリンのフォーカシングという心理療法だと紹介している。フォーカシングはいささか経験があるが、言われてみればその通りなのだった。

たった246ページの薄い本の中に、溢れんばかりに情報が詰まっている。そして、引用されている本にそれぞれ思い入れがあることが伺えるのが楽しい。

私はこの本で松本大洋の『ピンポン』を知り、折に触れて愛読するようになった。決して好みの絵柄ではないにもかかわらず、だ。子どものころから才能に恵まれ、ヒーロー的存在だったペコ。しかし慢心して、いつもかばっていたスマイルに実力が逆転されてしまう。二人のこれまでの関係性は完全にゆらぐが、もがき続けるペコをスマイルは待ち続け、そして二人の関係は祝いの時を迎える。

その解説が圧巻なので、ここで敬意をこめて引用させていただこう。

 それにしても、二人が祝いの時をむかえるのに、どうしてこれほど長い道のりが必要だったのか。

それは、本当の「祝いの時」は、二人が「対等」でなければ訪れないからだ。

友情は、向上心を柱としているために、向上のペースがずれれば、力は対等ではなくなる。低い方に合わせるのでは、祝いにならない。「祝いの時」が訪れるためには、より高いところで「待つ意志」と、それに「応える意志」が必要だ。その二つの意志がかみ合うのには、時を耐えねばならない。しかし、二つの意志がある限り、いつか祝祭の時は訪れる。

耐える時間も祝祭の時のどちらも、友情の関係には似合っている。

(斎藤孝 『スラムダンクな友情論』第六章「友情の関係を祝うとき」より

私の持論だが、優れた芸術作品を優れた批評とあわせ読むのは最高だ。自分では持ち得なかった視点を持つことができ、考えを深めることができる。そのことで、作品をより深く味わうことができるようになる。十代の方に限らず、何か優れた本を読みたいと思いつつ、どれを読めばいいかとっかかりがつかめない、という方にもお勧めだ。



 

 

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